「みなみけ」に見えた「萌え」の不思議な概念

DVDの第5巻はマコちゃん成分が多くて嬉しかったよ・・・特に11話,マキが「寝顔を見てほしい」と話を振ってくる場面のマコちゃんがそれはもう!!

・・・それはさておき,これで「みなみけ」は全話見たことになる訳だけど,私の中では原作まんがは当然の事ながらテレビアニメ版の第一期から第三期までの全てを含めてここ数年で特に面白い作品だった.
で・・・だ.
些か唐突な話の振り方である事は意識しつつも・・・一つ思った事があるので書いてみたいと思う.


最近流行ったアニメやまんが,ライトノベルはそれこそ星の数ほどあって,当然私はその全てを知っていない.
私が知っている範囲で作品名を挙げるすれば,有名な所ではまんがが原作の「らき☆すた」や音楽業界を巻き込んだ(巻き込みかけた?)「けいおん」等があり,ライトノベルからでは「涼宮ハルヒ シリーズ」や「狼と香辛料」もその中に入るのだろう.また土俵をゲームに移せば「Fate/stay night」や「戦場のヴァルキュリア」などもそれに当てはまるかもしれない(ってかホントに局地的な例の挙げ方だな・・・).
そしてこれらのアニメは凡そが「萌えアニメ」と呼べる作品であり,それ故に人気を誇っている.今回「みなみけ」の既存巻とテレビアニメを全て見終わった上で思ったのが「これって本当に(世間でいう所の)萌えアニメなんだろうか?」という違和感なのである.
#「みなみけ萌えアニメじゃないだろ」とまず否定されたら身も蓋もないが・・・

さて,本題に進む前にそもそも「萌えアニメ(まんが)」とは何なのだろう? という事を極めて限定的にWikipediaで調べてみると次のように書かれていた.

萌えアニメ(もえアニメ)とは魅力的なキャラクターによって主に視聴者の萌えを刺激するようなアニメを指す。
広義では、受け手が「萌え」を刺激されるアニメ全般を指す。狭義では、作り手が「萌え」を意図しているアニメを指す。ただし、「萌え」そのものの内容自体が千差万別なので、この用語の意味する処は使用者の主観に依拠している。よって、この用語の定義は極めて曖昧である。

萌えアニメ - Wikipedia

つまりは「萌え」という「感情」を「受け手」が「刺激される」作品,もしくは「萌え」という「感情」を「送り手」が「受け手に植えつける事を前提とした」作品が「萌えアニメ」となるらしく,これはまんがやライトノベル等にもそのまま当てはめる事が可能だろう.ただし上の引用の中でも書かれている様に,この説明ではまず「萌え」という概念の存在が前提となっている.では「萌え」とは何を示すのか,同じくWikipediaで見てみると次の様になっていた.

隠語としての萌え(もえ)とは、一部文化において、アニメ・漫画・ゲーム等様々な媒体における、対象への好意・傾倒・執着・興奮等のある種の感情を表す言葉である。同種の感情をあらわす「好き」という言葉を使うのに語弊がある場合に用いられる。原初は異性・小動物等の愛玩的対象に対して、恋愛感情や性的欲求に近い感情が「燃え上がる」という意味のスラングから来たものであるとみられている。

萌え - Wikipedia

なるほど,総じて考えて見た場合,「様々な対象(読者,視聴者)に対し様々な感情を向ける作品」となるのだろうか? この言葉を借りれば「萌えアニメ」という言葉の意味はおおよそ理解できてくるし,この意味に沿って考えれば「みなみけ」も立派な「萌えアニメ」になるが,しかしここ最近の「アニメ」には上に引用した「感情という要素」以外にも,もう一つの要素があり,それがアニメを「萌えアニメ」たる物にしていると私は思う.
そしてそれこそが私の言う「みなみけには感じられない違和感」なのだが,それは「非一般的」という言葉で表すのが最適かもしれない.
当然,この「非一般的」とは言葉通りの意味で「一般的ではない」という事を指す.それはキャラクター設定に限らず舞台設定等にも言えるのがだが・・・ここではまず例としてまんが「らき☆すた」の主人公である「泉こなた」を挙げてみよう.
泉こなた」は極めて一般的ではないかと思えるかもしれない.しかし「アニメやまんがに対する過度のオタク少女」という「非一般的」な部分が存在している.と書けば当然「オタクなんて今時そうでもないだろ?」という思われる方もいるかと思われるがしかし「オタク」という事柄は大多数の人々にとって已然として「かかわりのない世界である」という意味で「通常とは違う」イコール「非一般的」となる様に思える.
これと同じ事は例えば「涼宮ハルヒシリーズ」では主人公である「涼宮ハルヒ」が「宇宙人や未来人といった非一般的な事案を求める」少女であり,「長門有希」や「朝比奈みくる」に至っては存在その物が「一般的」という言葉を当てはめられない.そういった現実世界で一般的でない性格や能力,環境を上の引用でいう「萌えという感情」として様々な対象,つまり我々に対して送っている作品であるからこそ「萌えアニメ」と呼ばれるのだろう(例えば萌えアニメの良くあるパターンとして一般的に言う「魔法少女〜」といった言葉が作品名の冠に付く物も「少女が魔法を使える」という部分で「非一般的」と当てはまる).

そして「みなみけ」であるが,私には良い意味で「みなみけ」には上で書いた「非一般的」な部分を感じる事が出来ない.
「南家三姉妹」には,例えば涼宮ハルヒシリーズにある「宇宙人や未来人」の様な存在との接点は当然無く,また「武に長けている」訳でもなければ「オタク」でもない.極めて一般的な「姉妹の日常」という環境だけを前面に押し出し,それに付加させた各位の個性を元に,起床と共に始まった一日から普通の学園生活,放課後を経て一日が終わるまでの様のみを淡々と描いている(まれに季節事を絡めたエピソードがあるが,それでもやはり「その季節事」を普通に描いている).これはテレビアニメ版のオープニングテロップにある「南家三姉妹の日常を描いた作品」という言葉とともに,凡そ上で書いたような「萌えという感情(概念)を持っていない物語」となってしまう.


だがヤングマガジン誌で連載を続け,テレビアニメも3期続いた事を考えた場合・・・「みなみけ」も立派な「萌えアニメ」なのだろうが,やはり私には「みなみけ」は「萌えアニメ」に当てはまらない気がしてしまうのである.